昭和41年08月19日 朝の御理解



 今朝方からこんなお夢を頂いた。総代さんの秋山吉太さんの家に、私が呼ばれておるのか、どうもここではなさそうですけれども、そこの床の間に軸が掛かっておる。その軸に大黒様と恵比寿様が描いてある。その大黒様と恵比寿様を見ておると、大黒様は私そのままの大黒様。恵比寿様は秋山吉太さんそのままの恵比寿様です。その真中に賛が書いてある。賛が書いてあるけれども、私それがはっきり分からなかった。そういう様なお夢です。恵比寿様と大黒様が並んで軸に描いてある、掛軸に。
 その大黒様は私生き写しの大黒様。恵比寿様は秋山さん、生き写しの恵比寿様。大黒様は米俵の上に座ってござる。恵比寿様は竿をかたげて、鯛を抱えてござるというそういう図柄の軸なんです。もちろんその真中に賛が書いてあるんですけれども、良くそれは分からない。断片的ですけれども、もう一つは福岡の高橋さん、いうなら電柱の電線が張り渡してあります。あれがもう倍位はある高さで、高橋さんの離れ業、それを下で見て居るのが椛目の方達なんですけれども、それが椛目の方達が二派に分かれて居る。
 いうなら反対派と支持派と、言う様な二派の者が下でかたずを飲んで見て居る。皆んな運動シャツに猿股一つになってる格好で、そこのところへ走って行かれた。十人ばかりの人達がそれを援護するように走って、高橋さんがさぁっと一番上に登られる。それでどういう事をされるというと、一番上に張り廻らされている網の上で逆立ちをする。そして首から何かを吊ってそれを見せるとこういうわけ。
 それがお米が一俵、そのお米を持って登られんから、十人位の援護している人達が持って登っている。それを高橋さんが上で逆立ちをしながら首に掛けて、それからさきはそこまででしたけれども、それを見ているところの支持派、又は反対派の人達がです、それが出来るだろうかと、固唾を飲んで見て居るけれども、本人の高橋さんは自信たっぷりで上に登って行っている、と言った様なお夢であった。
 これはどういう中を通っておりましても、一生懸命の信心修行が出来ております時には、私がおかげを受けん筈が無い。これは確信に満ちたものが、心の中に与えらますですね。これは私共本当に信心しよって、どうしてあんなに難儀が続くであろうか、貧乏せんならんだろうかと、い言った様な時でもです、それはもう一切神様の御都合であると、私がおかげ頂かん筈がなか。もし私がおかげ頂かんなら、教祖の神様の仰っておる御教えは、みんな嘘だと。
 私はそれを実証するのだと、言う様な一つ意気込みが、私の修行中にあった。又、私がおかげ頂かん筈が無いと断言しよった。又それを聞いて下さる方達も、ほんなごつ貴方がおかげ頂かれん筈が無いと、言うて頂くくらいに、いうなら自他共にそれは認めていた。私は椛目の方達が、一つ理想とされておられるところの、願いとしてあるところ、それは私が大黒様なら、銘々が恵比寿様の、おかげ頂きたいという願うじゃなかろうかと、こう思うのです。
 いつも恵比寿、大黒、いわゆる大黒様の側におって、いつもにこにことしてです、大黒様がお米と持ってござるなら、私は鯛を持っておると、そこで安気安穏のというか、安気安穏というとですけれども、安心の生活が出来ると言う様なです、おかげを私皆さんの願いにして居られるのじゃなかろうかと、他に欲はありません。まぁ先生が何処かにおいでになられる時には、何処にでもお供が出来るような、おかげを頂きたい。
 夫婦でも私共は家庭のことやらお店のことやらは、息子達夫婦に任せて、夫婦で椛目にいつもかつも来ておりたい。何か御用でもさせて頂ながら、いうなら安気安穏な生活を頂きたいと、そういう願いを持って居ると言う様な、そういう意味の事を沢山聞きますですね。願いそのものは素晴らしいと思うんです。お互い恵比寿様の徳を受けて、大黒様の側にいつも居られると、私とてもそれが本当に大黒様の徳にならなければ、皆さんが恵比寿さまになられましても、出来ませんけれども。
 相方がそう言う様な恵比寿様、大黒的な徳を受けておかげを頂ける。それにはです、そういうおかげが私こそ頂けるんだと、いうなら確信が持てれる信心をしなければいけんと思うですね。暑い暑いと言いながら、窓を締めきってしもうとってから、涼しさを頂ける筈ありませんもんね。どんなに蚊取線香がありましても、それに火を着け無かったらやはり蚊はおりますもんね。そうでしょうが、蚊取線香炊かなくてはならない時には、やはり蚊に攻められる煩わしさというものがある。
 本当に煩わしい。いわゆるこの世は苦の世、苦の世界だと感じる。けれどもです、折角蚊取線香頂いとるのでございますから、蚊取線香に火が着きさえすればです、煩わしいことはない。必ず落ちて来る。暑い暑いと言う事はいらん。外には涼しい風が吹いていると仮定しますか、どんなに涼しい風が吹きよりましても、窓を開けなかったら、皆さん唯暑い暑いと言うておるだけなら、いつまで経っても涼しくならないと言う事。
 三、四日前でした、上野さんが御祈念中に、神様からせんぶりを頂いた、お知らせを頂いた。どんなに素晴らしい、これは胃腸の特効薬だと、そんなに胃腸が悪いのならばこれを煎じて飲みなさいというて頂いても、飲まなかったらいつまでたっても胃腸は良くならしませんよね。私共が日常の上に様々な苦い思いをすることがございますよね。腹の立つこともある。情けない思いをすることもある。いらいらすることもある。けれどもよくよく考えてみると、自分の細さ、自分の信心内容の貧しさ。
 自分が大きく豊に頂けば御礼を申し上げなければならない様な事に、いらいらしたり腹立てたりしておる。結局胃腸の弱いことを先ず自分で知らなければいけん。頂くことが出来んのですから、そうでしょうが。どんなにおご馳走、いわば血にも肉にもなるようなお馳走を頂いてもです、それが血にも肉にもならないということ。胃腸が悪いから、そこで神様は、先ず丈夫な胃腸を下さろうとするわけなんです。おかげを願わせて頂いたら、先ず胃腸を何を食べても美味しい、何を食べても血にも肉にもなる。
 何を食べても美味しいと言う様な、おかげを下さるためにです、先ず胃腸の方を丈夫にせよと言う事なんです。そこで神様が苦いせんぶりを下さるのだけれど、そのせんぶりを頂かなかったらいつまで経っても、胃腸は丈夫になりませんよね。例えばこうやって椛目で修行致して居ります。それは修行中でありましても様々な、いわば苦い思いをすることもあろうけれども、只今修行中と看板上げているようなもんですから、それに取り組んでおるのですから。
 これに依ってどうぞ、私の胃腸を丈夫にさして下さいというておれば、苦いけれども有難いということになるんですよね。そういうおかげを頂いて居らなければです、今日私が申しますように、私は必ずおかげ頂けれると言う様な、確信が持てれるようなおかげは頂かれん。苦いのは苦い、苦しいのは苦しい。腹の立つ時は腹が立つ。いつまでも自分の心の中にしこりが残っている。
 いいやもう私この事だけは忘れられんち、いうごたるという様なものが、心の中にあるとするならです、もう貴方はおかげは受けられんのだと、先ず自分で思わなければいけませんよね。それこそ私がおかげ頂かれん筈がないというのじゃなくてです、私はこの調子だったら、一生かかかったっちゃ、おかげ頂ききらん私だと、先ず知らないけませんよね。なかなかそれは出来ん。けれどもこうして一生懸命、この事に取り組んでおるんだから、今にこれが有難く頂かれる私、になるんだという確信が持ててくる。
 楽しみが出来て来る。苦いことも苦いと思わん、腹が立つような事でも有難いものが少しづつでも出来て来る信心の体験というものが、備わって来て私は初めて、おかげが頂けれるという確信が持てるんですよね。そこんところの稽古が、出来ずていきよらずに、私がおかげいやほんとに親先生が大黒様なら私は恵比寿様という様な理想だけは素晴らしかっても決して恵比寿大黒のおかげ頂ける筈が無いです。そうでしょうが。
 段々稽古、何も分からなかった私が、信心さして頂くようになって、天地の御恩徳が分からせて貰い、天地の道理が分からして貰い、天地の御恩徳に対して神恩報謝の生活をさして貰う、そこから昨日今日申しておりますように、天地との?がりというものがいよいよ分かって来る。その一切に中から、天地の親神様との繋がりが出来て来るようになる。天地の道理を分からせて貰う。人間は万物の霊長であるから万物を見て道理に合う信心をせよと教えて下さるようにです、道理に合う信心をしなければいけん。
 道理に合う信心を知らなければです、道理に合わん生活をしよるなら、いうならば、法則を侵すのですから、これは悪いことと分かって居るけれども、その悪いことを重ねて行きよって、いつか自分は捕まるに違いないと、いうそういう不安にいつもおののいて、おらなければならんということ。そうでございましょうが。ところがそういう法則に則って、道理に合った生活をさせて頂けば、私がおかげ頂かれん筈が無い。私がいわば警察から追われることも、捕らえられようなこともないという、どういう疑いが掛けられるような事があって、も何時も自分の心の中には、安心が頂けるということ。
 あぁこげなこっちゃいつか罰かぶるに違いなかと、いつかこれがばれたら警察に捕らまえられなならん、という様な不安の元が、これにあってから、おかげ頂ける確信と言う様なものは頂けませんよね。天地の御恩徳を分からせて貰って、神恩報謝の真を捧げての生活、同時に人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心と、いう事はこんなにも容易い、こんなにも有難い生活なんだと、いう体験をして行かなければならない。難しいことを仰るのではない、私が先ほど申しました。
 高橋さんが高いところに上がって、逆立ちをして、そして沢山の面前でそれをやってのかそうと、自信たっぷりのものを持って居られるということは、皆さんも御承知のように今度の、御造営が始まってから、皆さんご承知のような熱心な信心をしておられますよね。御造営が始まってこの方、御造営が始まってすぐ、自動車を新車に変えられました。その時の御取次お願いというものは、もうお父さんもお母さんも家内も勿論、今度の自動車は椛目の御造営と同時に、新車に変えさせて頂くが。
 これが一つ御造営の手足になる位に、今度の御用に使わせて頂きたいという願いだと、もう本当にどれだけ、高橋さんの車、今度御造営の為に使われたか分かりませんですよね。もう私がということではない、神様の御用になる。勿論その為には自分も家を空けなければならん。本当にあちら皆さんもご承知でしょうけれども、あぁいう立派なお店も二軒持っておられます。それにお父さんは九州の寿司の組合長をされていますから、いつも居られないわけです。もう殆ど家の中におられんのです。
 結局は両方采配されるのは、高橋さんなんです。それが例えば、奥さんは元看護婦さんでございますからね。お店なんかいうのはぜんぜん好かんじゃったち。だから水商売なんかちいうのは、全然性に合わないと、自分でいって居られた程ですから、さばきが慣れたという方ではないです。けれども慣れないからにも、自分がいない時には一切任せられてあるということ。そ
 して朝出て来たら晩の十時、十一時頃になっても、やっぱり御用頂いて居られるということ。これは秋永先生の、これこそ形の影の様にして、あぁして御用を頂いて居られるということ。皆さんもお気付きであるうと思うけれども、今度の建築のことについて、建築屋さん達が申しますですね、あっちらと話によって却ってこちらが勉強になるち。という位に勉強してます。あらゆる建築雑誌も専門の本も読んでです、対等にです、対等に例えば建築士なら建築士、設計士なら設計士にです。
 これはこうじゃないですか、あぁじゃないですかと言うことはせんよと、例えば素人だからというて誤魔化しの様なことは、あの人の場合はごまかしがきかんのです。昨日、おとといでしたか、委員長と高良山の高良山ビルを見に行っとります。私もあそこが出来てからすぐ高芝さんが出来てすぐのときに、連れて行って貰いましたが、あれが八千万円かかっとるそうですね。そして高良山の境内にあった高良山杉という、売られる杉は殆ど売ってしもうてあるけれど。
 それは分かりませんけれども、まだ後が支払い出来ずに高良山方が、大変頭ひねっておられるという話でございます。もうあれなんかは完全に、まぁいうならば設計者任せ、業者任せで出来た家ですね。私みたいな素人でも分かったんですもん。いうならばミスだらけです。椛目は本当に神乍らに出来て行きよりますというて、帰ってきて話しておりました。そうでしょう。それにかかる前にずうっとそれこそ何処に良いものがあるといえば、それこそ遠い近いを言わずに見にも行きます。
 勉強もします。為にはこういうものはと研究もしますね。これは少し余談になりましたけれども、今の高橋さんが支持派、反対派の注目の中に、いうならばそういう高い所で逆立ちして見せる。しかもそれが米一俵も首に吊ってから、皆んなの拍手を受けることを確信を持っておられる。実際に私思うけれども、信心というものは中途半端じゃいけませんよね。おかげを受けるということなら、まぁ別ですけれども、本当にそれに依って今日私が申しますような。
 恵比寿大黒の徳でも受けようと言う位な信心させて貰うなら、いや私の見通しというものがです、私がおかげ頂かん筈はないと、言う様な確信が持てるためにはです、中途半端な信心では頂けませんですね。いわゆる場合には変人になれ、変人にならなければ信心は出来んと仰るぐらいですから、変人になり抜かなければ、只もう高橋さんの場合は、長いものには巻かれろと言った様なことは御用に限ってだけはないですね。こらもう秋永先生がたまがっとる。
 いくら秋永先生がいうてもいけんというもんは、いつまでもいけん。そういう例はいくらもございましたが、今後炊事場、食堂の場合はどれほど研究したか、どれほどあっちこっちを色んなものを見に行ったか分からんです。そしてまだ決っとらんです。どれだけ、いわば何というですかね、お前がそのぐずぐずするから、それも大工に失業させるかというて、秋永先生が腹かくくらいにです、検討に検討を加えて行きます。これは皆さん本当にその通りでしょうが。
 そういう事が好きとか、物好きという方じゃないでしょうが、決してこの人は。高橋さんは本当に信心に徹底して行きよる姿なんです。ですから確信が持てるのです。今度お盆に一年中で一番大きい野球の試合が、二日間続いてございました。それがいつも例年最高三千位弁当が売れるそうですね。それに四軒か五軒で弁当を売る。それでその御届がありました。もうその前の日とその翌日は椛目に、ただその二日間だけだったそうです。そこで私は最後にどうも私は、今度は天気のおかげも頂くと思いますけれど。
 同時にお弁当は少なくとも、四千五百個作らせて貰おうと思いますが、お天気も少し悪くなりそうでしたからですね、一日三千個作らんならんところを、まぁ少し少な目に作ろうと思われたんでしょう。もうお弁当のことですからね、おすしですから。ですから私は申しました。あなたがこれだけは作って良かろうと思うだけ作りなさいと申しました。それも私はこれは、おかげ頂くと確信するからなんです。あれだけ打ち込んでなさって居られるのだから、神様おかげ下さらん筈が無いと思うから。
 それで私は大体少なくとも四千五百と思うとりますから、ならそれなりにお届けさせて頂くよと言うてから、それで二日終わって御礼に出て見えてから、先生丁度五千作りました。それがぜんぶはけました。その代わり二日間は不眠不休でございましたと、自分ところの二件のお店で作るけれどもです、と言う様に確信を持って、いうなら神の用をたせば氏子の用は神が助けてやると、仰るようにそのまま信じて居れるだけに、神の用に専念して居るということなんですよ、問題は。妥協がありません。
 いい加減の事が無い。これは御造営の済んだ後に、恐らくそれが発表になりましょう、記録になりましょうけれどもですね。椛目の御造営にかかっての、様々な事の話合いというものは、どうせ高芝さんがなさらなければならない御用ですが、記録係ですから、けれども、もうずっと高橋さんに高芝さんが任せてある訳でしょう。もうそれこそ逐一微に入り細にわたって、記録を作ってございます。あれを清書す相当時間がかかると私は思います。もうこげなメモされるメモ帳がどれだけ。
 椛目の場合そういう様に一生懸命の人達、またそれについておる一生懸命の人達、決して高橋さんだけで出来る訳じゃありません。秋永先生だけで出来る訳じゃありません。それには椛目、信者総代始め沢山の人達、又はそれについておるから出来るのでございますけれども、ここんところが、神様が一番初めに御造営の時に、奥城で頂きましたように、今度の御造営についてはです、椛目に縁を頂いて居るという、ほんのちょっと縁を頂いて居るという、全部を神様は使うと仰ったもんね。あん時に。
 だからそういう意味で、使われておるというだけではなくてです、使うて下さいというて使われる者でなくちゃ値打が無いと思います。私今朝から頂いたお夢の中から今日申しましたような色々さまざまななことを感じたのでございます。みんなの願いというのはです、ほんとに恵比寿様に対する大黒様であろうと、同時にその軸のこと、秋山吉太さんということは、私はここにお互いが、ひと捻りしなければならんことじゃなかろうかと、こう思います。
 秋山吉太という信心とか、名とかと言った様なもんを考えてみてです、他にこの人達こそ、例えば恵比寿大黒的のおかげを受けられる人達であろうとか、人間の願いでもあれば理想でもあろうとこう思うのです。そして私はそういうおかげが受けられると確信を持って行けれる為にです、自分の銘々の難儀なら難儀を通しておかげを受けさせて貰う。上野さんが頂いておられますせんぶりでもです、只苦い苦いどうしてこんなに苦いものを飲まなんじゃろうかというだけでは胃は治らん。
 それをせんぶりとして頂かせて貰うところにです、胃腸が強くなるのであり、この調子ならおかげ頂かれん筈が無い。どういうものでも頂きこなせる。だからこそ血にも肉にもなるのだと、それに例えば、どんなに煩わしい事があってもです、蚊取線香を持っているだけでは煩わしい、蚊が落ちる訳ないでしょうが。火を着けなければ。暑い暑いと言っておっても、どんなに外に涼しい風が吹いておっても、窓を開けずしてどうして、風が入る訳ないじゃないですか。それを行じること。
 それをしなければいけない。火を着けなければいけない。窓を開けなければいけない。それをせずして自分は将来大黒様に対するところの、恵比寿様のようなおかげが受けられると言う様なことを、いつかおかげ頂くだろうともし思うなら、それはほんの夢に過ぎません。自分が本当に現実になって頂けると、確信出来れるおかげ頂くためにです、本気で私はおかげ受けさせて貰わなければいけない。
 折角御用させて頂くならです、本気でそうした、誠心誠意の御用がなされていかなければいけないと思いますですね。どうぞ一つ今日は色々と、私が御神夢の中から断片的なものから、それからヒントを得てから、今日の御理解でした。まぁなんぼかでもそれからヒントはあったと思うんです。皆さんがそれぞれにおかげ頂けれる信心をです、頂いておかげ頂かなならんと思います。
   どうぞ。